三谷サービスエンジンは「すべてはお客様のために」の理念のもと、金沢・野々市・白山の3市で県内最多級の16店舗のサービスステーション(SS)を運営している。整備、保険、用品販売、新車・中古車販売など幅広く展開する自動車関連事業や、新たに立ち上げた生活支援事業「わたしの執事さん」にも注力し、中軸をなすSSとの両輪で「暮らしの総合サービス企業」として躍進を期している。

「すべてはお客様のために」。中軸のSS運営と新事業の両輪で「暮らしの総合サービス企業」へ。

三谷サービスエンジンは、東証スタンダードに上場している三谷産業株式会社(本社金沢市)のグループ企業だ。SS市場への参入に際し、三谷産業から分社化する形で1963年に設立された。ENEOSの特約店として金沢・野々市・白山エリアで積極的に出店し、現在は県内で1、2位を争う16店舗を構えている。 うち8店舗はセルフ型だが、フルサービス型と同じようにスタッフがアテンドする接客スタイルを貫いているのが大きな特色。「いらっしゃいませ」の声掛けで出迎え、お客様の要望を聞いたり、困りごとなどに親身にアドバイスや提案を行ったりしてくれるため、安心感と信頼感が醸成され、おのずと顧客が増えていくことになる。 目下の顧客数は企業・団体なども含め約3万5,000人に及ぶ。設立以来60年間に築かれた信頼の証しであり、それが安定した経営の基盤となっている。「人を介したサービスにこだわり、スタッフの接客スキルを磨いてきた成果だと思います。どこにも負けないマンパワーこそが最大の強みだと自負しています」(本村幸宏社長)そのスキルを学ぼうと、ビデオカメラ持参で視察に訪れる同業者も少なくないという。

「鳥虫魚の視点」で変化に対応

企業理念は「すべてはお客様のために」。言い換えれば「常にお客様に寄り添ったサービスを提供して満足していただく」ということになる。ただし、時代の移り変わりとともに求められるサービスも変わる。そのため、「鳥の目」で全体像を把握し、「虫の目」で細かなニーズを見逃さず、「魚の目」で時代の流れを見極める「鳥虫魚の視点」を大切にしてきた。SS業界に当てはめれば、1998年にセルフ型店舗が解禁され、急速にシェアを高める一方、2005年からガソリンの販売量が減少に転じ、淘汰の時代に突入した。ピーク時には6万店を超えていた全国のSS数は今や3万店を割っている。こうした業界環境の激変に的確に対応するため、成果主義を導入し、社員の意識改革とスキルアップに傾注するとともに、用品販売、整備、保険、新車・中古車販売など車関連事業の拡充により、顧客のカーライフを総合的にサポートできる体制を構築し、企業体質の強靭化を図ってきた。「業界の潮目が変わったのは、私が取締役販売部長に就いたころ。従来と同じことをしていては勝ち残れないとの危機感から、社内改革にがむしゃらに取り組みました。よくついてきてくれたと社員に感謝しています」(本村社長)その結果、やや停滞気味だった業績が急ピッチで回復し、経営の安定化が実現した。

新事業の売上比率を50%に

しかし、SS業界の未来は明るいとは言い難い。SDGsや環境問題を背景に電気自動車(EV)へのシフトが進行しており、今後もガソリン需要の減少が続くことが確実だからだ。年商約90億円の90%ほどを占めるSS部門に依存しているだけでは、いずれ負け組に転落しかねない。そのため第2、第3の柱づくりの種をまき、育てるポストSS戦略に拍車をかけ始めている。 その一環として2021年に立ち上げたのが、生活支援事業「わたしの執事さん」。日常生活上のさまざまな困りごとを、執事やコンシェルジュ的なスタンスで解決する寄り添い型ビジネスであり、キャッチフレーズの「暮らしの総合サービス企業」を名実共に体現する挑戦とも言えよう。自動車免許を返納した高齢顧客との絆を保つメリットも期待でき、まずは3万5,000人の顧客を中心ターゲットに可能な限り幅広い支援を提供することにしている。実際、社のホームページには草刈り、荷物運搬、ハウスクリーニング、側溝清掃、エアコンの修理・設置をはじめ32もの支援メニュー例が紹介されているが、今後はリフォーム事業も手掛けるなどさらに充実させていく。「灯油配達などで長年ご愛顧いただいてきたおばあさんが第1号のお客様で、『三谷さんだから安心してお願いできた』とおっしゃってくださった。新事業のコンセプトとお客様のニーズがマッチしていることを確信しました」(本村社長)後発ながら新車・中古車販売も年間600台まで販売量が伸び、1,000台到達も視野に入ってきた。社員の福利厚生向けからスタートしたキャンピングカーのレンタル事業も芽が出始めており、「三谷」ブランドを活かせる分野を開拓しながら、10年以内にSS部門以外の売上比率を50%に高める方針だ。

「夢を語れる社員であれ」

本村社長は26歳で同業他社から転職した。面接時に当時社長だった三谷充現会長から「君はこの会社で何がしたい?」と問われ、不敵にも「三谷を変えます」と大風呂敷を広げた。SS店長を経て9年後に課長に昇格した翌年、多くの先輩社員を一気に飛び越え、38歳の若さで取締役に大抜擢された。さすがに「10年後ならともかく、今はとても無理です」と固辞したところ、「10年後も今も一緒だ!」と机をたたいて叱咤激励されたことを鮮明に覚えているという。覚悟を定め、社内改革に奮闘したことは先に触れたとおりだ。5年後に専務取締役に昇格して実質的な経営トップを任され、2012年、49歳にして社長に昇りつめたのだった。「振り返れば、面接時の『三谷を変えます』の大言壮語が支えになりました。『言こと霊だま』といわれるとおり、言葉に発することで自らを鼓舞し、周囲からもパワーを得られて道が開けるのです。若いうちはぜひ夢を語れる社員であってほしい」と熱く語る本村社長だが、「アルバイトも含め200人規模の会社ですが、中身は小さな商店のよう。家族的でざっくばらんに話ができる風通しの良さが持ち味です。入社して損はありません」とPRも忘れない。 快活でバイタリティー溢れる経営者のもと、のびのびと存分に働ける企業風土であることは間違いない。

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